Change the Future

IT系のエンジニアから、中国にて外資系企業で国際感覚を学ぶ。エグゼクティブ向けのパーソナルコンサルティング、日本人が世界に出て活躍するためのサポートをしています。http://future-makers.net/

先祖供養と人間模様ー生き方とリレーションシップが問われているー

いきなり先祖供養ですか。お盆でもお彼岸でもないのに、、と思われると思いますが(笑)

 

雪解け後の主人の実家に帰り、

お墓参りをしたときにやっぱり周囲の状況も見るじゃないですか。

 

しっかりと、お掃除が行き届いているお墓と

廃墟の様相を呈しているお墓と、いろいろあったわけです。

 

そこで、思い出したことがあります。

 

以前に、高野山奥の院に参拝した際に感じたこと。

これをちょっとまとめてみます。

 

私が考える先祖供養とは、

結論から言うと

 

「生きている人間の生き方とリレーションシップが問われている」

 

ということです。

 

順を追って、説明していきます。

 

高野山で観た繁栄している会社とそうでない会社の墓

これに至る、きっかけになった高野山奥の院の出来事です。

初めてお参りした際に、面白い事象を垣間見ました。

 

奥の院に到着するには墓場を通り抜ける必要があります。

奥の院って基本的には寺ですから、

檀家さんの広大なお墓を有しています。

 

すんごいお墓(歴代の武将や歴史的な有名人)のオンパレードで、

一見の価値ありですが

神経や身体が弱い人は強烈に嫌な感じがするので

やめておいたほうが無難なところです(笑)

 

そこには企業が建てたお墓ってのもあって、

いろいろな会社がいらっしゃいました。

主に製造業が多いわけですが、

事故や怪我で亡くなった方を弔う意味合いが多いのではないかと思います。

もちろん、創業者がすんごいいい場所で眠りたい

あの世でもいいとろこに行きたい、みたいな

欲があるのかも知れません。

 

お金を積めばいい戒名を頂いて、いい場所に行けるという

思想がありますからね。

まぁ、それはどっちでもいいんですが

 

せっかく高いお金を払って立派なお墓を建てても

荒んでいるお墓と

きれいなお墓があったんです。

これは見れば一発で誰でも分かります。

 

で、会社を見てみると…

 

案の定、業績の良いところと

負債まみれでそのうち外国に買われてしまいそう...

という会社が見事に一致。

これには笑いました(笑)

 

私はこの事象を、どう考察したかと言うと

 

『生きている人間の関わり合い方が見えるようだ』

 

と感じたのです。

 

まぁ、こういっちゃなんですが

お墓のお掃除なんてボランティアですよ。

誰も褒めてもくれないし、お金ももらえないし、会社の人間が

好き好んで赤の他人の墓の掃除なんてしませんよね。

墓守なんて、かなり地味な作業ですよ。

 

でも、創業者の苦労や会社の組織の人間が不慮の事故で亡くなったり

慰霊を考えられる人間が

忙しい合間をぬって、どれだけ手間をかけれたか

という結果が「お墓の状態」に反映されているわけです。

 

他者や会社という赤の他人の空間に

どれだけ自分との関わり合いを見いだせるか

この抽象度を持った人間がどれだけ社内に居るか

 

また、あの人のために手を合わせたい

と思わせる魅力的な人間だったか

 

ということも大きいと思います。

 

いずれにせよ、

生きている人間の問題なわけです。

 

こんなことを感じて、考え

高野山から帰ってきたわけですが

 

同じ様相を、先日お墓参りした際に垣間見た感じがしました。

 

荒んだ墓と、整えられているお墓。

お墓に入っている人たちと、今生きている人たちとの関係性

これが透けて見えるようでした。

 

故人を偲ぶほんとうの意味

お墓のお掃除を開運法にしているアホがいるようですが

目的を開運にした段階で終わっていますからね(笑)

まぁ、しないよりはマシかも知れませんが

お小遣い目的で親孝行をするのと一緒なので、意味がありません。

 

私はあまり、あの世から守ってほしいとか

思わないタイプですが

(そもそもあの世というコンセプトを使わない)

 

故人を偲び、思い出すという行為は

悪くないと思います。

 

なぜならば、

記憶に想起された瞬間に「存在」が浮かび上がるからです。

確かに居た、生きた

という「存在」は

生きている人の意識の中にあるときに出てくるものなのです。

 

ぜんぜん会ったこともない、

先々代、先々々代でも、思いを馳せた瞬間に

「存在」できるものなのです。

命って、そういうものです。

 

誰の記憶や意識にもないとき、その人は存在しているというのか?

 

こんな命題と同じことなのです。

 

母親がいない人はいないので、

この命題は成り立ちません。

 

産んだ人(母親)は少なからず、記憶がありますからね。

 

人の記憶という情報空間に存在している瞬間に

「その人の存在がある」

のです。

 

この世で生きていようと死んでいようと

存在というのはできる、わけです。

実在がないだけで。

 

生きている人が思い出してあげること

これはかなり意味があります。

思い出した瞬間に生きているのと一緒のことが起こります。

「ある」というエネルギーが生じるのです。

 

忘れ去られ、荒廃したお墓には

命がないのと一緒です。

 

どうでしょう、

墓にいる人達の生命力がある家や会社は

ずいぶんと人数(エネルギー)が多いですよね(笑)

そりゃ、繁栄するでしょ

ということです。

 

この世にはすでに居ない人たちとの

リレーションシップも含めて

膨大な数の生命力とつながることができているか否か

その力を借りながら、ご先祖ができなかったことを成し遂げるような

素敵な生き方ができているのか

 

先祖供養とは、こういうことだと思うのです。

 

生きている人間(周囲)からもご先祖からも先代からも
応援されるような生き方。

 

過去にはできなかったけど

今やっています、という報告が

おそらく一番の供養になっているんだと思うんです

 

家系のカルマとかなんとかというのは

恐れたり、忌み嫌ったりするものではなく

やっぱり今の生きている人間がどのように生きるか
それで成仏が可能になる

と、私は信じています。

 

諸事情があり、親戚づきあいを避けていたり

墓参りなんて興味ありません

という方もいることでしょう。

それはそれでいいんです。

 

今いるそのお部屋、その場で

故人に手を合わせ

思いを馳せてみてください。

 

そして、自分の生き方を振り返り

素敵な生き方を目指してください。

 

それだけでもいいんです。

 

と、私は思います。

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