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幸せの探検

東京とハワイで自由気ままに活動中。ヒーリング・スピリチュアルカウンセリングのサロンを営んでいます。http://laral-ight.net/  幸せはなるものでなく感じるもの。夢を叶える、幸せに暮らす、自分の人生を生きる、地球とか宇宙とかをテーマに書き散らかしています。

アピールする人たち

不自然な笑顔を作って、ネットに上げている人が散見されますが...(笑)このショートムービーは彼らの心理に切り込んでいるのではないかと思います。

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自己顕示欲、自己承認欲求と自己表現は似て非なるものでしょう。

 

今も昔も変わらず、一定数のアピールしてくる人たちがいます。人を賞賛したり賛美したりして、いい気分にする人たちです。

サラリーマン時代は、アピールが上手いだけなのか、本当に仕事をしているのか、評価に苦慮する人たちもいました。殆どは、実際に会ってじっくり話をすると、身が詰まっている人と表層で生きている人の違いはちゃんと分かるものです。

 

上司や組織から実力以上にほめてもらいたいという人の殆どは、自信のなさの裏返しです。権威から承認を得られると、やっと自分に納得がいくというこころの構造を持っている人。

それが、ネットの利便性が上がっていとも簡単に賞賛を得られるようになりましたね。「イイね」ってやつです。

権威=大勢の人 ととって変わったと言っても良いのではないでしょうか。

 

自己評価が安定している人は、必要以上のアピールは必要としません。しかしながら、

最近は、自己評価を上げるための「自己愛」が行き過ぎていたり、違う方向に突っ走っていっちゃって、なんだかなぁという感が否めませんが(笑)「自己愛」を確立したくて、他者の承認を一心に集めようとかなり奇抜なアイデアやアピールがまかり通っていると感じるのは、私だけでしょうか。

 

このショートムービーのオチをこれから書きますので、ネタバレが嫌な人は読まないでくださいね(笑)

 

スマホを捨てて、外に出ようというメッセージなのですが、映画の中の彼女は全てやろうとしていることを途中でやめてしまっているのです。

ご飯作って食べればいいんです。

メイクをして外出したら良いんです。

想像した通りの展開にならないと、やる意味が無いか失望するとでも思っているのでしょうか。経験や体験こそが人生の財産ですよ、と思うのです。

 

日常の満足度が自己承認のベースになるのではないかと、私は考えています。それは、楽しむ才能と言えるのかも知れない。

 

また、日常生活で感じる孤独感が、ネット依存の元になる場合が多いでしょう。たとえ、家族に囲まれていたとしても「私は理解され難い」という思いが強ければ、孤独感は感じるはずです。だから、共感してくれる遠くの何処かの誰かをネットで探すわけです。

 

時間や場所を選ばず、人とつながれるのはネットの良いところですし、悪いことではないです。ここで申し上げたいのは、いかに毎日の生活の中で、自分の身近な環境の中で豊かな人間関係やこころのありかたを体現するかが、ショートムービーのような虚構に走らず、リアリティと向き合う時間も大切にすることができるようになる、コツではないでしょうか。

 

たまには、「あの人消息不明」という噂が立つくらいに、ネットから居なくなって、充実した毎日を送っても良いんじゃないでしょうかね。こんな楽しい出来事がありました〜、というのは事後報告でいいわけですから。

 

何かに向き合っている時、何かに夢中になっている時って、誰かの「イイね」や、スマホのことなんか忘れているはずです。

 

身近な周辺環境を充実したものにすると、遠くの共感を必要としなくなります。家族、パートナー、友人、ご近所さん、仕事仲間。あんがい、自分が思っているより分かってくれているかもしれませんよ、あなたのこと。だって、日常を一緒に過ごしているわけですからね。

自分の部屋、家、乗り物、持ち物、自分のカラダ、これらもあなたと密接に関わりをもつものたちです。大切にしてちゃんとつながってみましょう。

 

その大義は、自分の人生のリアリティに向き合っていてなお、追い求めているものでしょうか。自分の人生のリアリティに向き合えないので見つけた大義でしょうか。

孤独は大義と仲良しです。大義は人を遠ざける場合があります。

 

私は理解されないと孤独を創りださず、

よく言うじゃないですか。幸せは足元に転がっているって。あれ本当ですよ。

 

 
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