幸せの探検

東京とハワイで自由気ままに活動中。ヒーリング・スピリチュアルカウンセリングのサロンを営んでいます。http://laral-ight.net/  幸せはなるものでなく感じるもの。夢を叶える、幸せに暮らす、自分の人生を生きる、地球とか宇宙とかをテーマに書き散らかしています。

忘れたいという願望が最も強く記憶に働きかける

意識に上らないことの中に、2種類あります。

一つは、意識の中に本当にない。

もう一つは、当たり前過ぎると意識しない。です。

 

具体的には、

日本人は毎日飲み水のことを心配しません。「神様、明日の飲水が確保されますように!見つかりますように!水を引き寄せるおまじない〜!!」とかやりませんね。

蛇口をひねると水が出てくると思っている、知っているからです。

実はすごいことなんですけど、水が飲めるか飲めないかの不安や心配はしないわけです。

だから、前の記事に書いた「自分は特別な存在だ」という意識は、特別じゃないかも、特別になりたいなぁ〜というのが含まれているというのがお分かりになりますでしょうか。当たり前になっている感覚だと、自覚や認識は殆どしません。

 

もう一つは、本当に自分の中のどこにもないことなので意識できない。

私の背中には土星がくっついていたらどうしよう...とはあまり思わないですよね。後ろが見えないから分かんないけど、土星がくっついていたら、、水には浮くらしいから重くはないだろうけど、そんなものくっつけていたら邪魔になるだろうなぁ。とか、あまり考えませんね。

天使の羽が背中にくっついていたらどうしよう、これくらいは意識できるかもしれません。

では、ここの境界線はなんでしょうか。

自分で不可能か可能か判断しているだけですね。まぁ、それはいいとして(笑)

 

何をいいたいかというと、当たり前すぎると意識にのぼらないんです。

当たり前に得らているものは欲しいと願っていないんです。

 

水道が張り巡らされた、水の心配のいらない社会はみんなで築きました。

お金や豊かさ、ひいては愛が欲しいと意識しなくても良い世界があってもいいと思うのです。

まぁ、満たされた中にどっぷり使っちゃうと、そのものが感じられないから欠乏感の中に居る、というトリッキーなことを人間はしている、と言えるのかも知れませんが(笑)

 

当たり前になるとありがたいと思わなくなる。でも、「生きていることそれ自体が奇跡」「生かされている」みたいなところに意識の中心があると、欠乏感の中にそれを見出して生きる苦行から脱出することもできます。まぁ、苦行が好きっという人いますからね、それもいいんですけどね(笑)

 

「生かされているところ」に自分の意識の中心を持っていくことができるか。これで、世界観も観点も違う場所に行っちゃうんですよねー。そこから感じる日常の風景はぜんぜん別の心象となるはずです。

 

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忘れたいという願望が最も強く記憶に働きかける byミシェル・デュ・モンテーニュ

 

人の意識は、こんな感じになっています。

 

 

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