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幸せの探検

東京とハワイで自由気ままに活動中。ヒーリング・スピリチュアルカウンセリングのサロンを営んでいます。http://laral-ight.net/  幸せはなるものでなく感じるもの。夢を叶える、幸せに暮らす、自分の人生を生きる、地球とか宇宙とかをテーマに書き散らかしています。

【その2】大重潤一郎監督作品「光の島」「縄文」の上映会に行ってきました

つづきです。

 

上映会の後に沖縄にいらっしゃる監督とスカイプでつないで、「縄文」の主演役だったJUNさんと久しぶりの対談です。

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専門家に取材・協力して作成した映画「縄文」

6000年、10000年前の当時の生活に思いを馳せ、再現するためにJUNさんは、ブレーカを切って生活をしてみたり、裸足で歩きまわってみたり、いろいろな試みをされたそうです。

監督が環太平洋沿いの黒潮文化とでもいうのでしょうか、アジアに共通して流れる文化に着目し、様々な作品を作られてきました。

その黒潮思想ともいえる文化とは、地球に生かされてもらっているという謙虚さと、人間も地球生態系の一部であるという考え方から生まれる生活習慣です。

この映画の中で象徴的な場面は、木の実を森で拾ってくるときに、森に入る前に祈りを捧げ、栗を拾う前に祈りを捧げているところです。森の道を歩きながら、唄を歌います。

この歌も、言語復元の学問があるそうで、当時の言葉や発音はこうでなかったかという専門家と一緒に作った歌なのだそうです。

また、いたるところで微笑む笑い声が聞こえます。

 

儀式の場面で出てきた土器などは、本物(遺跡の出土品)を使用しているそうです!

 

10000年前の縄文時代らしい森を探して

ロケ地探しも大変だったそうです。なんせ、10000年まえの環境が残っているところがほとんどない。白神山地屋久島などを往復し、とんでもない移動距離だったとか(笑)

縄文時代には竹がまだ日本に入ってきていないので、竹や植林杉の無い森でないといけない。

その甲斐あって、映像は日本の自然の素晴らしさがそこら中に散らばっているような、緑と水と光の宝石箱のようでした。日本の森自体が、原始の状態をもう保っていないという、自然環境の定義を今一度考えさせられるエピソードでした。

 

UMI映画 出版実行委員会発行「光の島」より引用

自然の中を歩くとこの地球環境には人間だけが住んでいるのではないと、当たり前のことでありながら、しかしふと厳粛にならされることがある。そして人間は随分と人間だけの都合で通してきていることに気づかされれる。地球上の生物として人間の認識は明らかにズレを生じてしまっているようだ。まっとうならばそのズレを取り戻すべく自然の気配を感受し、その実体自らの生命感とを重ね交感させてゆかねばならないのだろうと思う。しかしながら、このことに気がついているのか、気づかないふりをしているのか、もう気づけなくなっているのか人間だけが何故か人工、人為のベクトルにひた走る。そして忙しい忙しいの中で自らの命脈を見ること無く終わる。

 

大重監督は沖縄で次回作「久高オデッセイ三部作」の制作をされているそうです。

琉球文化のドキュメンタリーだそうです。

久高島の男たちは、太鼓から海と共に生きてきた海人である。

海人は、潮の干潮をとりわけ大切なものとしています。

久高島の女たちは、海人と島の平穏を祈り続ける神人である。

神人は、新月と満月に、繰り返し祈ることを欠かしません。

 

その結果、島の中では母系社会が自然と育まれてきました。

月によって我々の命が生かされていることを知っているから、久高島は、今なお、旧暦に添って暮らしています。

 

祈りも、そして営みも。

生命と月は、切り離すことは、できない。

久高島で存続し得た母系社会に未来のいのちへの希望がある。

 

2015年3月7日に東京自由大学で第二部の上映会があります。次世代のライフスタイルに関心がある方はぜひ!